山の中の、とある神社へ行った。
すごくすごく丁寧に鳥居に挨拶をしている人がいた。かなり、かっこよかった。まっすぐな気持ちってかっこいい。気づいたらいつもより丁寧に振る舞っている自分がいて、己の軽薄さにハズくなるなどしたし、強制するでもなく自らの姿勢をもって他人の姿勢を正させる人、やっぱカッケェ〜〜と思った。ちゃんとしなきゃな、と勝手に思った。
神社や寺に行くといつも、「神社仏閣を博物館的に楽しむのは如何なものか」と、京極堂(百鬼夜行シリーズ/京極夏彦)の声がどこからか聞こえる。たしか「鉄鼠の檻」でこういったことを言ってたと思うんだけど、心に染み付いている。当時グサっときたし、今もこの声が聞こえるたび「ウグッ!」って声出そうになる。展示物ではないこと、お邪魔させてもらっているということ、忘れがち。今日はなぜかデカい自然を感じたからか、神社仏閣だけじゃなくて、初めて行く土地にもそういう気持ちを持っていたいなぁと思った。神も仏もアニミズムも残留思念体も信じてるわけではないけど。なぜか思った。
京極堂と榎木津礼二郎と京極先生は私にとっての師匠なんだけど、春といえばこの本ですよね。
ブクログで「春を感じる作品3選」っていうブックリストを作ろうって企画があったからやってみたんだけど、その中のひとつにこれを選んだ。桜満開で美しい。
あ〜あ、最近京極堂を見てないのでたるんでいたかも。夏の間は「姑獲鳥の夏」と「魍魎の匣」を読む季節と決まっているから、その前に他のやつ読んどこう。定期的に京極堂の講釈と説教と榎木津礼二郎の罵詈雑言を聞かないと。ぼくは関口です。